クジラは人間!?捕鯨が世界で問題になっている理由は文化の違いにあった!

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捕鯨問題とは何なのか?

 

みなさんこんにちは!

 

今回は捕鯨について取り上げてみようと思います!

少し長くなりますが、是非お付き合いいただけると嬉しいです!

少し前にはテレビで捕鯨の2文字を見ない日はないほど話題になっていましたよね。

その注目度は日本のみならず、世界中で注目を集める問題となっていました。

しかし、ナゼそれほどに捕鯨が大きな問題となっているのか理解している人は少ないでしょう。

まず捕鯨とは何かを簡単に言うと、文字通りクジラを捕まえることです。

このクジラを捕まえる目的によって、捕鯨は2種類に分かれます。

1つ目が、クジラの生態調査を目的とした調査捕鯨
2つ目がクジラの商用利用を目的とした商業捕鯨です。
 

どの種類のクジラが絶滅しそうだ、とか、どの地域にどんなクジラがいるのかってことを調べるのが調査捕鯨、
クジラのお肉を食べるためとか、売るために取るのが商業捕鯨ですね!

 
このような捕鯨について、日本は「捕鯨をしたいです。」と言っているのですが、世界中の国が強く反対しているんですね。

これを聞いた時、日本人の多くが、
 

どうしてクジラを取るくらいで、他の国はそんな大げさに反対しているの?

 
という気持ちを持つと思います。

当然、殺される動物がかわいそうという感情はあるでしょうが、牛や豚と同じく、自分たちが生きる為であればしょうがない、というのが本音ではないでしょうか。

しかし!
ここには単なる捕鯨にとどまらないもっと大きな問題が根底に隠れているんです!!
 

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日本と欧米の倫理観の違い

さてさて、今回捕鯨に対する勢力を整理してみましょう。

まず、一つは捕鯨賛成派、その筆頭は日本です。正直、日本以外に積極的に捕鯨しようぜ!という国はあまりいません。

それに対し、捕鯨反対派となるのは主に欧米の国となります。

アメリカやイギリス、ドイツにフランス、スペインなどなど、あなたがよく聞く欧米の国はほとんどが反捕鯨はと言えるでしょう。

では、どうして日本は捕鯨に賛成で、欧米の国々は捕鯨反対なのか?

それは、倫理観の違いにあるんです。
 

倫理観っていうのは、ここでは難しくとらえず「捕鯨に対しての考え方」くらいに思って下さい。

 

日本の捕鯨倫理とは

日本の捕鯨倫理とはどのようなものかを見ていきましょう。

日本人にとって、鯨は全国の至る場所で文化や信仰に大きな影響を及ぼしてきました。

「東海道中膝栗毛」に写る鯨食を楽しむ人々、北海道網走の鯨汁や三重県四日市市の鯨船神事など、食や文芸、祭りといった多方面で、鯨と日本人の深い関わりは見ることができます。

このような日本人の捕鯨に関する立場は、資源が豊富に存在し、鯨の総数に悪影響を及ぼさないと国際的に認められている種類のみを枯渇させることがないように限定的に捕獲し、持続的に利用し続けていくことを求めるとされています。
参考 < http://www.sydney.au.emb-japan.go.jp/japanese/top/important_info/standpoint_of_japan.htm>
 

つまり、絶滅しないなら取っていいじゃん、ってことですね!

 
この根底として、日本人が「生きている」ということを様々な価値判断の基準として据えていると考えられます。

牛や豚、鶏を食べていいのなら、鯨を食べることにも何ら違いはないという考えが生まれるのは、牛や豚、鶏、そして鯨も同じじゃない?という意識があるからです。

そして、これらの動物を同じだと考える理由こそ、「生きている」ことに他なりません。

どのような動物も、「生」という視点に立てばすべて同じなのです!

このような考え方は神道涅槃経といった日本人の宗教に多く見られ、だからこそ、日本的な倫理観の下では、クジラを他の動物同様に資源として割り切り、それを自らのために殺め、食することも何らおかしな行為ではないと考えるのです。
 

欧米の倫理観

それに対し、欧米の人々は捕鯨をどのように考えているのか?

それを知るためにまず考えなければいけないことが、キリスト教の存在です。

キリスト教は世界で20億人以上の信者を持つと言われており、世界の人口が70億人程度だと考えると3~4人に一人はキリスト教に入っていることになります。

欧米ではキリスト教が最も主要な宗教であり、それ以上の割合でキリスト教徒がいると考えていいでしょう。

つまり、欧米の多くの人の考え方にキリスト教が大きく影響している、ということになります。

そして、キリスト教の根底には「知識」や「知性」を基準とした順序付け、知性中心主義とも言える価値判断基準があるのです。

詳しく説明すると非常に長くなってしまうのですが、キリスト教における重要人物であるアウグスティヌスの言葉に以下のようなものがあるのです。

存在、知識、愛の3つを人間は兼ね備えており、
人間にはそのいずれも欠けてはいない。
人間は存在しており、知識も有している。
それに対し動物は、存在はしているが知識はない

これはキリスト教の持つ考え方の根底になっているとも言えるため、キリスト教徒の考え方に大きく影響を与えていると言っても過言ではないでしょう。

つまり、欧米の人々は『人間は知識があるから他の動物よりエライ!』と考えているんですね。
ということは、知識があると言える動物がいるなら…?

 
キリスト教を信じるということは、このような考え方を自然と持つということになります。欧米の人々が知識を基準とした価値判断基準を持っている可能性は非常に高いでしょう。
 

クジラには知性がある=人間!?

さて、ここまでくると、勘のいい人はピンときたのではないでしょうか?

そう、欧米の人々が捕鯨に反対する理由。

それは、クジラには知性がある。知性があるクジラは他の動物より人間に近い優れた存在である。そんなクジラを捕まえることはとても残酷なことだ。だから反対!!

ということなんですね。

まぁ、クジラに知性があるかと言われると難しいところですし、欧米人がそう主張する理由も結構あいまいです(笑)

こう聞くとかなり無茶苦茶で、日本人には理解しづらい考え方ですよね。

しかし、欧米の人は本気でこのように考えているのです(もちろん全員というわけではないですが)。

この知性があるから殺すのは残酷だ、という考えをわかりやすく言うとなると少し難しいですが、

例えば日本人は犬やネコを飼うと名前をつけますよね?
ポチやタマ、タロウにペーターなどなど、名前をつけて大切にするのは、彼らが人の言葉をある程度理解し、かわいいと思える対象だからです。

しかし、クジラは何匹いようがまとめてクジラですよね?

それに対して、欧米の人々にとってクジラとは、犬やネコと同じ、あるいはそれ以上の存在なのです。

欧米の人にとって、クジラ一匹一匹がタロウであり、ポチであり、かわいがる対象に他ならないのです。
 

中国で犬を料理した、という話をあなたが聞くと「残酷だ!」と思うように、欧米人はクジラを食べると聞くと「残酷だ!」と思うってことね……。

 

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クジラに人権!?
どんどんエスカレートする捕鯨議論!

ここまでで、どうして他の国が捕鯨に反対しているかという根本的な理由はなんとなく伝わったと思います。

もちろん、公式な場で「クジラを殺すのはかわいそう!」なんて感情的な議論はしておらず、表面的には「絶滅しそうだからやめよう!」といったそれっぽい理由をつけています。

しかし、決定的な反捕鯨の理由は上述したような倫理観の違いに他なりません。

そして、この考えはいずれ、クジラに人権を与えよう!という話にまでエスカレートする可能性すらあるのです!

この話、しようと思えば記事2ページ分は取ってしまうのでまたの機会にしましょう。

とまぁ、このような話が上がってくるほどに、クジラに対する議論は収まるどころか拡大の一途をたどっています。

今回お話した日本人と欧米人の倫理観の違いは、捕鯨問題のみならず、他の問題にも影響を与えているでしょう。

こうした違いをお互いに理解し、歩み寄っていくことこそが、グローバル化が進む今に生きる私たちの使命とも言えるのではないでしょうか?
 

次の世代がより生きやすい時代を作れるよう、考え、行動していくことができると素敵ですよね!

 

それでは、今日はこのあたりで!

 

 

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